雅子さま「美智子さまをないがしろに」忖度した御即位記念特別展「令和の御代を迎えて」

皇室・皇位継承

2月27日発売「女性セブン」では、雅子さまの周囲に対する「お心遣い」について、「新年一般参賀」の機転を利かしたご対応や、特別展でのご対応などの事例をあげながら詳しく報じました。

「適応障害」との診断がでて「公務」できない状況が続いた雅子さまでしたが、ここ最近のご活躍について宮内庁関係者や皇室関係者が絶賛しています。

雅子さまご不安になった御即位記念特別展 「令和の時代を迎えて」(女性セブン内容)

「皇宮」になられた雅子さまは、「皇太子妃」時代から兼ね備えていた周囲への「お気遣いの心」をより積極的におみ見せになられるようになった。

「新年一般参賀」の際には、多くの国民が天皇陛下と皇宮を一目みようと入場時間前に集まっている様子をご覧になられて、「大勢の人にお待ちになっていただいているのだから、時間を早めた方がよろしいのでは」というご配慮で予定時間よりも20分早めてご入場していただく機転を利かせたご対応をされた。

新年一般参賀の際には、「美智子さまに失礼があってはいけません」とのご配慮で、上皇と美智子さまお二人にもご参加いただいていた。


そして、お二人が平成30年間ずっと立ち続けていた場所から、横にずれることを「十分にご説明できたか」といった細かい点をしっかりご確認されていた。

2月8日から始まった御即位記念特別展「令和の御代を迎えて」では、ご自身の「外務省キャリア」時代のものはあえて出さずに、美智子さま過去の展示物に合わせるように「幼少期」「学生」時代に絞った展示物にした。

その中でも特に注目を集めたのは、雅子さまのハーバード大学卒業論文「輸入価格ショックへの対外調整:日本の貿易における石油」だった。

この卒業論文は英字で書かれていたののはもちろん、国際経済に対する高い見識をお持ちだということが見て取れる内容に仕上がっており、閲覧していた外国人観光客が「エクセレント!」と感嘆の声を思わずあげたほどだ。

特別展の図録には、ベーカー米国務長官来日の際に、「通訳」として外務省時代の雅子さまが活躍されている写真があったが、今回の展示物の中には含まれていなかった。

これは、雅子さまが美智子さまのスタイルを見習ったからに他ならない。

美智子さまは、2014年10月に日本橋高島屋で開催された「天皇皇宮両陛下80年-信頼の絆をひろげて」展示会において幼少期や学生時代の「ゆかりの品」をメインに展示されていた過去がある。

雅子さまは、このことを十分に理解していて、今回の出展物をご自身の幼少期・学生時代のものに絞ったという。

皇室ジャーナリストは、「雅子さま外務省時代の「ゆかりの品」に関しては、第二期へ後ろ倒しにされたのでしょう」と推察している。

雅子さまは、「気遣いの人」でもあるし、「努力の人」であることでも知られている。

雅子さまは「適応障害」診断後、療養生活に入られていた期間があったが、その期間中であっても「月次の和歌」は毎月提出されていた。

「月次の和歌」とは、その時の考え方やものの見方を天皇陛下が把握するもので、このことを通じて、雅子さまはご自身の心境をしっかり「ご報告」されていた。

ただ、当時のマスコミは、この雅子さまの「努力」を積極的に報じることはなく、「適応障害」で公務をお休みされていることだけが強く印象づけられる報道が繰り返されただけだった。

雅子さま「適応障害」なぜおきた?周囲への過度な忖度が原因か?

週刊誌「女性セブン」が報じた雅子さまに関する記事を見ると、周囲への細やかな「お気遣い」ができる方で、影でコツコツと頑張る「努力家」であることが分かります。

なぜ、このような立派な方が「適応障害」と診断されるまで精神的に追い込まれることになったのでしょうか?

雅子さまが「適応障害」と診断され苦境に陥っていた時に、現在の天皇陛下である「徳仁さま」は、異例の会見をひらき、ご自身の考えを次のように述べられています。

「この10年私は皇室の環境に適応させようと努力してきましたが、そのことで疲れ切ってしまっているようにみえます」

「それまでの雅子のキャリアや、人格否定をする動きがあったことも事実です」

当時の徳仁さまは、雅子さまを「誰が」傷つけたのか、名指しはしなかったものの、犯人が確実にいるこを示唆した「ご発言」だったことが波紋を呼びました。

また、当時の雅子さまを追い詰めた犯人は、「一人」ではなく、「複数人」いる可能性高いことも話題となりました。

そのお一人として、美智子さまのお名前があがっているのは事実です。美智子さまにとっては「皇室の伝統を知らない姑を教育・指導しなくてはならない」というお考えがあったかもしれませんが、度を越えたものになっていたのかもしれません。

そして、美智子さまに追従するように雅子さまを「追い詰めた」マスコミの責任は大きいでしょう。

雅子さまが「適応障害」で公務をお休みになることに対して、「身勝手」で「わがまま」な行為であるように報じていました。

また、愛子さまが学習院小学校時代に「いじめ」にあって「登校拒否」していたことを、当時のマスコミは「愛子さまが学校に通わなくなったのは、雅子さまが「わがまま」を容認してきたからだ」という論調で攻め続けました。

もともと雅子さまは、「周囲へのお気遣いができる方」でしたが、逆の見方をすると、「周囲からの理不尽な圧力に弱い」といえます。

雅子さまは、東大やハーバード大学ご卒業された方なので、頭の回転はとても早い。論理的な思考ができるお方なので、美智子さまやマスコミが「理不尽」な攻撃を仕掛けてくる意味が分からないし、それを防御する手立てもなかったのでしょう。


それがようやく、令和の時代に入り、少しづつ変わってきたのかもしれません。

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